癌の夫と共に

癌治療を通して人生を改めて見つめ直すつもり😅のブログ

義父と夫(3)

義実家では家計管理は義父がしており、毎月決まった額を義母に生活費として渡していました。
義母曰く「必要最低限の物しか買えない」金額で毎月遣り繰りに苦労したそうです。義母が節約しながら頑張って作った料理を食べもせず、自分だけ寿司を食べてきたり焼き肉に行ったり。

また義父は自分の趣味に関する物はどんな高額な物でも何の相談もなしに購入するなどやりたい放題。自分は何をしても許されると言うより家族の事を全く考えてなかったようです。
家族が風邪をひいた時ですら「寝てれば治る」と病院に連れて行く事を渋る人だったようです。

自分達は本当に家族なのか?
自分は父に愛されているのか?
夫もそんな父の姿を見て子供ながら色々考えていたみたいです。

「父親らしい事は1つもして貰えなかった」
その思いは義兄達も同じだったようでそれが義父の死に対して涙を流さない理由のようです。
そして葬儀後分かった事は義父は家族に一円も残していないどころか借金があったのです。
借金の内容は高額な農機具。
義母の話では数人で共同購入したと言ってたみたいっすが実際は義父が見栄をはって自分1人で借金して買ってたようです。

更に片付けの最中、義父の日記を見つけたのですが
自分はそもそも結婚もしたくなかった事。妻には多少感謝してるが愛情はない事。子供を、特に夫を可愛いと思った事がない事など目を疑うような事が書いてあり「あいつらには一円もやりたくない(原文まま)」とまで書いてありました。

それを見て義母は声を上げて泣き、息子達は大きな溜め息をつき「最低やな。」そう行って実家を後にしました。私は言葉も出ずただ義母の背中をさするしか出来ませんでした。
結局借金は義兄達が精算してくれましたが何だかモヤモヤした気持ちだけが残りました。

夫もショックだったようでこの時初めて涙を見せました。
泣きながら夫は「家族って何やろな。俺は何で生まれてきたんやろ?」そう言って私にすがり付いてきました。そんな夫を抱き締めて「私は夫くんと家族になれて幸せです。生まれてきてくれてありがとう。」と言うのが精一杯でした。

暫く2人で泣いていましたが何かを決意したような感じで夫が話始めました。
「俺はあいつみたいにはなりたくない。こんな俺やけど葵を愛してるって胸張って言えるし俺の大事な家族や。時々は甘えてしまうけどそれでもこれだけは絶対約束する。葵に少しでも金を残してやる。それまでは何があっても仕事は休めへんし勿論辞めへん。俺は絶対癌を治す。大事な家族の葵に少しでも楽させてやりたい。今回あいつが死んだ事で改めて思った。父親とは思われへんけど反面教師として忘れんようにするわ。」

そんな事があってから夫は「仕事を休まない」と言うルールを自分に課していたんですね。
実際夫は本当に頑張ってくれていますしその姿を見て感謝の気持ちでいっぱいです。
時々はお互い自分の事しか考えられなくてケンカしたりする日もあるだろうけど、それでも私達はずっと「夫婦」だしいつか癌の事を笑って話せるその日まで「家族」として支えあっていきたいです。

長々した話にお付き合い頂いてありがとうございました。