癌の夫と共に

癌治療を通して人生を改めて見つめ直すつもり😅のブログ

祖母の事

昨日介護の事を書いていて思いだした事があります。それは10年以上前に亡くなった祖母の事です。
九州のとある街で生まれ育った祖母は好き嫌いがはっきりしていて誰に対してもはっきり物を言い、男勝りと言う言葉がぴったり当てはまるようなそんな人でした。子供の頃、夏休みに泊まりに行っては可愛がって貰っていましたが、しつけには厳しく食事のマナーや言葉使いなどで良く怒られもしました。
そんな祖母は怖いけど私は祖母の事が大好きで年に1度、九州に行くのが楽しみで仕方ありませんでした。

でも働くようになって中々休みも取れなくなり、更に自分も友達や彼氏との付き合いで忙しく過ごすなかいつしか祖母の事を忘れて数年の月日が流れていました。

ようやく連絡を取ったのは私が結婚する時。
電話をしたのですがこの時何か違和感を覚えました。
それは私の名前を度々忘れ、妹と間違えたり話が噛み合わなくなる事があったから。10分足らずの電話でしたが「年を取って物忘れが激しくなった」と言う感じではないような…。なんとなく気にはなりましたがバタバタしているうちにすっかりその事を忘れてしまっていました。

それから1年後、母から連絡が来ました。
「おばあちゃん、認知症らしいんよ。今はまだしっかりしてる時間があるけどその内、何も分からんようになるって言われたわ。あんたも忙しいとは思うけど良かったらおばあちゃんに会いに来てあげて。」突然聞かされた祖母の認知症。驚いたと同時にやっぱりと言う思いもありました。私の結婚とほぼ同じ時期に祖母は両親と同居するようになったのですが会話が噛み合わなかったり同じ事を何度も言うようになったりして心配した両親が病院で検査して貰った所、認知症と診断されたそうです。

それからは会う度にだんだんと症状が進行して行ってるのが分かり最後には私達家族の事も全く分からなくなってしまいました。またその頃、夕方になると必ず「家に帰る」と言って外に出て行くようになっていました。その家とは祖母が新婚時代に住んでいた九州の家でとうの昔に無くなってる家の事でした。祖母はお姑さんにかなりいびられたようで(何度かその話は聞いた事があります)その時の記憶が余りにも鮮烈に残っていて「早く帰ってご飯を作らないと怒られる」と言っては家を飛び出していました。無理に引き止めても同じ事を繰り返すのでとりあえず一緒に外に出て暫く歩いてから連れて帰ると言う事をしていました。私も何度も一緒に歩いた事がありますが時間はまちまちで5分で納得する時もあれば1時間以上歩いた時もあります。
歩いてる時祖母は色んな話をしました。見た事ないはずの家を「ここは○○さんの家。」とか「この先に金物屋があるから買い物する。」とか。
祖母の頭の中ではここは見知らぬ土地ではなく新婚時代に過ごした町だったようです。
ある日いつものように祖母の話に耳を傾けていると
「すみませんねぇ。見ず知らずの人についてきて貰って。お宅はこの近くの方ですか?私は大丈夫ですからお宅も気を付けて帰って下さいねぇ。」
そう言って頭を下げる祖母。

分かってたはずなのに。
もう私の事も分からなくなってる事は
分かってたはずなのに。
でも男勝りであんなにしっかりしていた祖母がこんな申し訳なさそうに私に頭を下げるなんて…。

咄嗟に祖母の手を繋いで
「帰ろう❗おばあちゃん一緒に帰ろう❗」
と泣きながら叫んでました。
一瞬驚いた祖母でしたが「帰ろうかね。」と言って
手を繋いだまま歩き始めました。
この時、祖母が私の事を思い出していたのかどうかは分かりませんが何も言わず手を繋いでいてくれた事が私にとっては凄く嬉しかった。だって祖母の手の温もりは昔と何も変わってなかったから。

その後数年、自宅で介護を続けましたが肺炎で入院したのをきっかけに亡くなるまで病院や施設でお世話になりました。ぎりぎりまで自宅で介護を続けた両親は本当に凄いなと思いますしその苦労は経験した人にしか分からないと思います。両親は介護に関する愚痴などは一切言いませんでしたが今でも時々
祖母の話をする中で「大切な家族から忘れられるって悲しいね。」と言います。あの時、私が感じた気持ちを両親もまた感じていたんだろうなと思い、とても切なくなります。


おばあちゃん。
天国で楽しく暮らしてますか?
いつか私がそっちに行ったらあの頃みたいに私の名前を呼んでね。おばあちゃん。大好き。